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最終更新日:2014/9/11

Fashion of the 19th century.

19世紀のファッション-オートクチュールの誕生-

†オートクチュールとは?

オートクチュールという言葉は、さまざまな定義がありますが、一般的にはパリの高級注文服業界で作られる服のことを意味します。
19世紀後半に活躍した、イギリス人デザイナーのシャルル・フレデリック・ウォルト(英語読・チャールズワース)が最初のオートクチュールデザイナーなのだそうです。

†オートクチュール以前のファッション業界

オートクチュール以前のファッション業界の仕組みは、現在とは大きく異なるものでした。それは、すべてが分業されていたことです。

テキスタイル(生地)のメーカー、アクセサリー・装飾品を取り扱うメーカー、仕立屋(デザインをするクチュリエ、ドレスメーカー)、縫製担当者が全て別々に存在していました。
各企業が別々に存在するのは現在も当てはまることなのですが、この当時はユーザー(注文者)は、自分で生地を買い、装飾品を集め、そのパーツを仕立屋に持っていき、自身の体に合わせてデザインし、最後の縫製はまた別の針子が請け負うというシステムだったのです。
これには当時のギルド制が背景としてあり、当時のファッションの最大の最大のステータス(価値)はテキスタイルにあり、デザイン面のステータスはそれほど高くなかったそうです。

†オートクチュールの誕生

オートクチュールのシステムを作ったのはイギリス人のシャルル・フレデリック・ウォルトです。

彼は1860年代、ナポレオン3世時代の皇室ご用達のクチュリエ(ドレスメーカー)として名を上げました。
従来のファッション業界のシステムを非効率だと考えていたウォルトは、ファッション業界のシステムを変えてしまいます。その新しいシステムがオートクチュールなのです。

それはデザイナーが複数の服のサンプル(モデル)を用意し、モデルにそのサンプルを見せ、顧客が気に入ったサンプルをチョイスし、体のサイズに合わせてサンプルと同じものを作るというものです。

デザイナーはテキスタイルの選定、デザイン、仕上がりの見直しまで一貫して管理する立場となったのです。
これにより、顧客に服が届くまでの時間の短縮、生産システムが効率的になったので、より多くの顧客にウォルトの服を届けることが出来るようになりました。
オートクチュールはこの生産システムの元に生まれたのです。

ちなみにワースは、顧客同士が同じ服を同じ場所で着ないように、顧客の住む場所、服を着ていく場所など、すべて顧客の情報を集め、ワースの服を供給していたそうです。

そして現在にまで残る、「パリ・クチュール組合」(通称サンディカ)の基盤となる「フランス・クチュール組合(The Chambre Syndicale De La Confection Et De La Couture Pour Dames Et Fillettes)」が1868年に創設されました。これがオートクチュールの起源だと言われているのです。

現在オートクチュール組合(サンディカ)の正式加盟店はシャネル、クリスチャンディオール、ジバンシーなど有名ブランドが名を連ねています。

†デザイナーの誕生

1870年の帝政崩壊後、これまでの皇室中心のファッションスタイルは崩れました。
しかし、ブルジョワジー(裕福層)、アメリカの富豪を中心とした、ファッションスタイルへ変化します。

シャルル・フレデリック・ウォルトは帝政の崩壊によって一度はビジネスを閉めたものの、裕福層を顧客につけ、再度栄華を極めます。
この帝政の崩壊がファッションの道を切り開くことになるのです。

それはこれまでファッション業界で絶対的な権力ち、ある種のトレンド、美学をつくってきた皇帝がいなくなったことで、絶対的なスタイルがなくなったからです。
ファッションデザイナーは「トレンドを作る皇室の服を作っている人」から「トレンドを作る人」に変化しました。

こうしてウォルトなど優れたクチュリエの服を着ることが、ある種のステータス、トレンドとなり、デザイナーという職業が生まれ、ファッション(トレンド)を作るものが「着るもの(皇室)」から「作るもの(デザイナー)」に代わっていきました。

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