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2014/9/11 更新

Fashion in the 20's.

20年代のファッション。

†大量生産・消費社会

20世紀初頭、大量生産時代が訪れます。
その大量生産時代の象徴であり、最も効率良く達成したのが、フォードの生産方式です。

フォードは「T型フォード」を、合理的な生産方式によって、一般人の手の届く範囲の製品にしたのです。
それは分業制を用いり、人件費と生産効率を合理的なものにするために、労働を単純作業化としたものでした。

このような大量生産システムは、フォードの名前からフォーディズムと呼ばれています。
ファッション業界もやや遅れますが、20年代に既製服化への動きが始まっていきます。

†ファッションの工業化

19世紀前半、ミシンが発明され、ファッション業界でも工業化、工場生産の動きが始まりかけたのですが、お針子の仕事がなくなるといった反発、人それぞれサイズが異なると言った問題などから、スムーズに進むことはありませんでした。例えば、イギリスでの工業化の中でラッダイト運動などの反機械的な反動が起こるなどです。

しかし、アメリカからミシンの商品化が始まり、既製服産業は奴隷、農業従事者のための労働服から徐々にスタートしたのです。労働服からスタートしたのは、サイズの調整、縫製の問題などの分野であまり難しくなかったからです。

クオリティや美しさを考慮すると、仕立ての方が良いと考えられていた時代です。
エヴィス・HOUSTONヒューストンやdieselもミシンのおかげで沢山生産されています。 でも、そのおかげで今dieselのファッションブランドの服はクオリティなども高く昔とは違うって感じがします。エヴィス・HOUSTONヒューストンやdieselだけでなくしっかりとしたブランドのファッションはやはりしっかりしているのです。

†ファッションの既製服化

1920年代になると、徐々にファッションの既製服化が始まっていきます。
その背景となる大きな理由は2つあり、1つ目は、直線的なシルエット、ファッションのシンプル化が始まるということです。

ファッションのシンプル化はパリモードではシャネルやジャン・パトゥなどのデザイナーが打ち出していました。
流行の構造がシンプルになったことから、当時の既製服の技術でもそのスタイルを作ることができるようになったのです。

2つ目は、サイズの標準化が進んだという点にあります。
アパレルメーカーが主導となり、身体のデータを集め、体系をカテゴライズする動きが進みました。

このような背景の中で、徐々にファッションも仕立てから既製服への変化は加速していきます。

†消費時代と、製品のファッション化

大量生産による消費社会の中では、モデルチェンジ(異なるデザインの打ち出し)が重要になります。
これは、パリモードにおける1年に2回のコレクションで、スタイルを徐々に変えていくというシステムが当てはまります。
古いものを捨て、新しいものに切り替えていくというスタイルです。

20世紀の始めに活躍したポール・ポワレのデザインは、20年代、別のスタイルを提案したシャネルなどの勢力に逆転され、徐々に衰退していきます。これはその一例で、クチュールの業界ではすでにこのような新しいスタイルの提案は当然のように起こっていたことなのです。

自動車業界でも、フォードが1920年代にGM(ゼネラルモーターズ)にシェアで逆転されます。その要因として、GMのモデルチェンジや多種多様なデザインへの対応力、新スタイルの打ち出しなどがあったのです。

「もの」が大量に作れる分、大量に「もの」を売らなければなりません。
そのためには機能以外にも、デザインなど新たなスタイルの提案などを使って、需要を作り出していく必要があるのです。

このような背景から、ファッション以外の業界にも、モデルのチェンジ、新しい装飾、デザインの打ち出し、パッケージの改良などのファッション業界の手法が取り入れられていきます。産業デザイナーと言った職種が登場しました。

†シンプル化、機能性への動き

アメリカではすでに大衆消費の象徴、T型フォードが1908年に登場し、その後、第一次大戦が終了、1920年代になると、大衆消費社会が本格的に始まっていきます。

女性の社会進出も始まり、女性の社会進出が始まった背景としては、第一次大戦で国家総力戦(女性も含め皆が何かしらの形で戦争に参加するという意味)を経験したことが大きいと言われています。
これを機に女性も行動的になり、働く女性が急増したのです。

このような中、「動きやすい」服といった機能的な特徴も必然的に求められるようになりました。

ポール・ポワレの打ち出していた東洋的な装飾を使用した美学も、コルセットを外したとは言え、機能性の面ではやや時代遅れとされていきます。

女性が豊満なバストを強調した、動きにくい服を身に着けるといったファッションは過去のものとなり、それよりも「動き」が重視されるようになったことで、服装からも余計な装飾が削られていったのです。

シャネルは、装飾を排除したよりシンプルなデザインを打ち出します。他にも、ジャン・パトゥもシャネルと同様のスタイルを打ち出していきます。

†ギャルソンヌ・ルック

ギャルソンヌ・ルックとは、1920年代の象徴的なスタイルで、知的、行動的、洗練されたモダンガールを意味するスタイルです。
直訳すると「男子ような娘」という意味で、髪はショートカット、胸を強調しない直線的で細身のシルエット、膝下までのスカートが特徴となっています。

これは働く女性の急増を背景にして、シンプルで活動的な女性のためのスタイルへのニーズから生まれたもので、時代が求めたトレンドといえるでしょう。
この時代を象徴するかのように、フランスでは恋愛と仕事に生きる主人公を題材にした小説「ギャルソンヌ」が大ヒットとなります。

ギャルソンヌ・ルックで活躍したデザイナーはジャン・パトゥ、シャネル、ランバン、ヴィオネらがその代表的なデザイナーで、シャネルはこのような時代の流れを象徴するかのように、次のように語りました。

「ファッションは着飾るものではありません。着るものを選ぶことであり、それは自身の生き方を表現するものなのです。」

†ファッションとモダニズム

モダニズムとは、大衆消費社会を背景にして生まれた芸術活動で、20世紀初頭の芸術運動のことを意味します。

建築では、合理的で機能的な建築を理想だと考え、絵画ではキュビズム、シュールリアリズム、ポップアート等を指します。

アメリカの美術評論家のクレメント・グリーンバーグは自身の論文で、芸術がアヴァンギャルド(前衛)とキッチュ(俗悪なもの)に分かれている状況を指摘しました。
キッチュは文化の大衆化を表す言葉で、アヴァンギャルド、モダニズムは、消費社会による文化の大衆化に抵抗する手段だと述べています。
そのような観点から見ると、モダニズムは人間の経験に関する批評的な視点なのだそうです。

モダニズムは哲学のようなもので、ただ正確な絵画的描写によって世界を表現するものではないのです。

ファッションでもこのような芸術的な運動や新しい文化を受け、その時代の精神を象徴するスタイルが登場しました。

その特徴として、ファッションのモダニズムが目指したのは装飾を排除することだったのです。そのため、造形面でのシンプル化が進みました。

†シャネルとモダニズム

モダニズムを考える場合、重要な事柄として取り扱われるのが、機械、自動車などです。
ファッションで言えば、曲線ではなく、直線的な造形へと移行していきます。曲線がより生身のイメージをつくるのに対し、機械的な直線的な動きというのはより機械的なイメージを作り出します。

シャネルのシンプルで直線的なシルエットの服を着たモデルが、車の前に立つといった広告はモダニズムのイメージをそのまま表現したものです。

シャネルがモダニズムやアヴァンギャルド的な思想を持っていたのかは別にしても、彼女の表現が当時ではアヴァンギャルドで、時代の変化を象徴するものであったことは間違いないと思います。

†モダニズムの発展

デザイン面では、キュービズムの流れを組む、アールデコ調のデザインなどを調和させたデザイン、シュールレアリズムの影響を受けたデザインなどが登場しました。

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Last update:2024/1/9

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